今回は、卓球プロリーグのTリーグ T.T彩たまの坂本竜介監督
が現役時代にイップスを乗り越えた話を紹介します。
イップスとは
精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレーや意識が出来なくなる症状のことである。
坂本竜介監督の場合は、イップスによりサーブが思うように出せなくなった。
坂本竜介とは
卓球ファンの方は、ほとんどの方が坂本竜介監督のことを知っていると思う。
そうでない方は、坂本竜介監督を知らない方がほとんどだろう。
卓球に興味が無い方でも、坂本竜介監督の生き様は知っておいた方が良いだろう。
本題に入る前に、坂本竜介監督の紹介をします。
現在の活動
マルチに活躍している坂本竜介監督の活動内容を紹介します。
- Tリーグの T.T彩たまの監督&執行役員
- upty株式会社 代表取締役
- NEXT GENE株式会社 代表取締役
- 合同会社EnZin 顧問
監督以外にも経営者としても活躍されています。
坂本竜介 Twitterアカウント
選手時代の活躍
現役時代は、リオオリンピックの銅メダリストの『水谷隼選手』が
絶対に勝てないと言うほどの実力者でした。
その強さから『怪童』と言われていました。
また、ドイツに卓球留学し日本にヨーロッパスタイルの卓球を
広げるなどの実績から『卓球界のパイオニア』とも呼ばれていました。
大会での主な実績
- 全日本ジュニアの部 優勝 1999年(当時の最年少記録)
- 世界選手権代表 3回 2001年/2003年/2005年
- 全日本選手権 混合ダブルス優勝2回 2004年/2006年(ペア:福原愛)
- 全日本選手権 シングルス3位 2005年
- 全日本選手権 ダブルス準優勝 2013年
素晴らしい実績ですね。
2006年~2012年まで、ほとんど実績がありません。
この間が坂本竜介監督がイップスと戦っていた時期です。
どうやって乗り越えてきたのでしょうか?
坂本竜介監督がイップスを乗り越えた話
動画の内容を動画の下にまとめましたが
できれば動画を見て坂本竜介監督の言葉で聞いてください。
株式会社Liliの村田雄平代表と坂本竜介監督の素晴らしい対談
イップスの話は『 7:25 』からです。
1番得意な技術が出来なくなった
現役時代、1番得意な技術がサーブが出せなくなった。
正確には、サーブの回転がかからなくなったのだ。
卓球においてサーブに回転がかけれないのは致命的なのだ。
最初は原因も分からないが、サーブが出せないため
今まで負けたことがない相手にもストレート負けするようになった。
- 練習しないから弱い
- ヒゲをはやしているからダメ
- 髪染めているからダメ
など周りからボロカスに言われ『メンタル』がやられてしまった。
その状態で4年間もがいていた。
「重度のイップス」と診断される
4年経って病院に行った時に「重度のイップス」と診断された。
イップスと分かった瞬間に
『じゃあサーブの練習やめたらいいやん』
と思った。
4年間、一生懸命サーブの練習もいっぱいした。
やればやるほど、過緊張になっていた。
練習やればやるほど、サーブが出せなくなっていた。
『じゃあサーブ無しでかったらいいんじゃう?』
という発想に変えた。
練習を変えたらまた勝てるようになってきた
そこから練習のやり方を完全に変えた。
サーブをチキータなどで打たれることを前提に練習した。
そしたら、成績が上がってきた。
- 全日本社会人のダブルス優勝
- 全日本選手権のダブルス決勝進出
日本のトップで再び活躍できるようになった。
6年間の振り返り
1番得意なサーブが出来なくなった。
その中でも選手として勝てる方法を見つけないといけない。
『サーブを捨てる』
1番得意な技術を捨てる。
これがどれだけ辛いか。。。
4年間結果が出なかったのは、
原因がわからず、サーブを練習し続けたから。
サーブが出せないからサーブ練習をせず
レシーブ練習の練習に集中することで結果が出せた。
できないことは手放す。
結果を出すためにできることに集中する。
そしたら、イップスでも全日本決勝に行けた。
イップスから学んだこと
イップスを経験したから怖いものがない。
失敗したら謝れば良いって本当に思っている。
失敗したらまたやればいいと思っている。
だから新しいことにトライする。
それはイップスから学んだ。
イップスで最高のサーブを諦めることができた自分がいる。